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第50回 随筆随想コンクール 優秀作品

歓喜の歌

新潟県 栗川 治(くりかわ おさむ)

「オキナワって何ですか?」と、楽譜点訳サークルのKさんに電話をかけて質問すると、「オは八分音符のラの音、キナワというのは複縦線で曲の区切りを示す二本のたて線です」と教えてくれた。年末のコンサートに向けて、私は点字の楽譜に指を這わせている。「指を走らせる」と言いたいところだが、なかなか前に進めず難渋しているのだ。
 私にとって音楽は大切な趣味、いやそれ以上のものだ。小中高と吹奏楽をやってきたし、東京の大学では男声合唱団・グリークラブに入って青春を謳歌した。郷里の新潟に戻り高校の社会科教師となったが、吹奏楽部や合唱部の顧問として生徒たちと音楽を楽しんできた。
 教師になって数年後、網膜色素変性症が進んで視力を失った。幸いなことに、多くの人たちや団体の支援を受けて教職を続けることができたし、普通高校への復帰の希望もかなった。アシスタント教員が配置されて恵まれた条件の下で働いている。そもそも教師は、必要なサポートがあれば視覚障碍者に比較的適した職業だと思う。
 音楽も見えないことがハンディになりにくい分野である。古今東西、視覚障碍のある、素晴らしい音楽家が輩出していることが、その証と言えよう。私にとっても、絵画や風景を目で楽しむなど、見えなくなって断念したり、困難になって遠ざかったものはあるが、音楽は聴くことも歌うことも、あきらめずに済んだ。ただ、三十代、四十代は、仕事と家庭、更に障碍を持つ教師の会の活動が加わり、音楽を楽しむと言っても、家でCDを聴いたり、仲間とカラオケに行ったりするのがせいぜいだった。
 二〇〇七年、そんな状況を大きく変える出来事があった。グリークラブの創立百周年記念演奏会に同期の仲間に誘われて出演し、学生時代の愛唱曲を一緒に歌って合唱へのくすぶっていた思いが再燃したのだ。とりあえず、かつて歌ったことのある曲であれば何とかなるだろうと、ちょうど募集していた新潟第九コンサートの合唱団に申し込み、九月からの初心者練習に参加し始めた。合唱団の方々は親切でガイドなど自然にやってくれる。だが練習そのものは思うようにいかない。各パートに分かれて、指導の先生がピアノで音を取ってくれるのであるが、音程、音の長さ、リズム、強弱などの表現が正確にはわからない。学生時代に何度も歌ったと言っても二十五年以上も前のことで、すっかり忘れている。やはり楽譜が必要なのだ。
 そこで、吹奏楽の指導のためにと、かつて入手した点字楽譜の解説書を引っ張り出してきた。一度だけ着手したが、挫折したまま本棚でホコリをかぶっていたのだ。そして、点字図書館で第九の合唱譜を借り、点訳者のKさんにバスパートだけの楽譜を作ってもらうことにもした。点字楽譜の学習の開始である。しかし、さっぱり意味がわからず立ち止まってばかりいる。かな読みの「キニ」が音を長く伸ばすフェルマータ記号であるかと思うと、「キネ」が二分音符のミのフラットの音であったりする。ドレミは英語ではCDEなのに、点字楽譜ではDEFなのだ。Dだからレかなと思うと実はドの音。ところがそのDが別の所では音を弱くするデクレシェンドも示す。予想がつかないというか、意地悪にさえ思える。
 それでも、繰り返し触っている内に徐々に慣れてきて、Dがドだと思えてくるから不思議だ。一マスずつゆっくりと音の高さや長さを確認していく。点と点、音と音がつながってメロディーの線となる。複雑な動きの所も「ああ、こうなっていたのか」とわかってくると、点字楽譜のありがたさをしみじみと感じる。
 十月末からは経験者も加わり全体練習に入る。点訳のKさん、朗読ボランティアのAさんも毎年歌っているとのことだ。グリークラブの先輩Mさんにも再会した。Mさんは声帯を痛めたので、歌わずに運営の手伝いをするつもりだったが、私をガイドするために一緒にステージに乗って隣で歌ってくれることになった。
 十二月二十八日、いよいよ本番を迎えた。ソロ・バリトンの「フロイデ!」の呼びかけに、私たち男声合唱が「フロイデ!」と力強く応える。喜びを意味するこのドイツ語の響きがホールに広がって、ベートーヴェンの第九交響曲はフィナーレの合唱部分に突入する。支えてくれた人たちも一緒に歌っている。「すべての人間は兄弟になるのだ!フロイデ!」と連呼して歓喜の合唱を歌いきる。オーケストラの激しい後奏の残響が消えると同時に大きな拍手が沸き上がった。心地よい汗と共に、忘れていた感動が胸の底から蘇ってきた。

本文 おわり

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