本間一夫 生誕百年 ロゴ本間一夫生誕百年を迎えるにあたり

 当法人の創立者 本間一夫が生まれたのは1915(大正4)年10月7日でした。今年の10月は、生きていれば満100歳です。生誕地は、北海道の日本海側にある増毛という当時の漁村です。本間の祖父が、佐渡から小樽に来て、その後増毛に移り住みました。初めは呉服商をしていたようですが、海運業、ニシン漁、醸造業などへと手を広げ、資産家になりました。その援助で、発足の翌年には、高田馬場に図書館が建てられました。
 本間は、5歳まで大勢の奉公人に囲まれ、何不自由のない子ども時代を過ごしたといいます。それが突然脳膜炎にかかり失明してしまいます。13歳で函館盲唖院に入学するまで、目の治療以外は家にいましたが、義母や奉公人に たくさんの本を読んでもらいました。本間の本好きは、そのころ培われたようです。
 点字に初めて触ったのは、函館盲唖院に登校した日でした。本間を出迎えた院長が大きな本を手渡し、触ってみるように言ったといいます。それは「点字毎日」でした。学習意欲がとても強い本間が、点字に取りつかれたのは言うまでもありません。英国に住み、貿易商を営んでいた 好本 督(よしもと ただす)氏が、「ロンドンには、たくさんの点字書がある図書館がある」と書いているのを読み、点字図書館をライフワークにしたいと考えました。
 関西学院を卒業して、1940(昭和15)年11月10日、日本盲人図書館(開館時の名称)を発足させました。しかし、それは当時買えた点字書700冊を並べただけのものでした。それがいわゆる図書館として、全国の盲人から絶大な信頼を得ていったのは、社会教育家 後藤静香(ごとう せいこう)氏の点訳運動に支えられたからです。点訳講習会で点字を習得した主婦たちが、こぞって点訳書を当館に送ってきたのです。内外の名著がどんどん点訳され、読書に飢えていた盲人たちは歓喜に酔いしれることになりました。こうして日本点字図書館は大きな発展を遂げることになったのです。
 皆様の多くがご存知の話をここで書いたのは、改めて私たちの起源を思い起こしていただきたかったからです。そして75年を経て、さらにご支援いただきたいと願うからでもあります。

理事長 田中徹二