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第47回 随筆随想コンクール 優秀作品

過去からの響き

北海道 後藤 俊昭(ごとう としあき)

 いつものように仕事を終え帰宅し、マンションの郵便受けに手をつっこむと確かな感触。
 お、来た来たと思わず頬がほころぶ。
 発注していた録音図書の到着である。
 中身はローランドカークというアメリカの盲目のミュージシャンの物語である。どうしてもこの小説を読みたかった、それには訳がある。私は三十年ほど前に実際サンフランシスコのジャズクラブで彼をみたからなのだ。
 当時私は二十歳そこそこで友人たちとアメリカでジャズを聴くツアーを立ち上げたのだった。
 現地で一番最初に聴いたのがローランドカークであった。一度に三本のサックスを口にくわえそれを同時に演奏するというアクロバット的なところで有名、というのが当時の自分の認識であった。
 ところがそこには左手だけで体を揺らしながら演奏する姿があった、脳卒中の後遺症とのことである。
 片手だけでは三本どころか一本のサックスさえまともに演奏など出来るのだろうか。しかしそんな不安などはあっという間に吹き飛んだ。三本で演奏していたころから楽器を改造する技術には長けていたらしい、そして盛り上がってくると、もはや心の叫びといったような音色で迫ってくる。確かに片手では表現方法には限界があるのだろうが、それでも十分に心を伝えることは出来るものなのだと当時の若い自分は実感した。実際この後も一流の有名ミュージシャンを観た。もちろん素晴らしい演奏であった。しかしその中でもローランドカークから醸し出される波動はかなり衝撃的であったというのが私同様友人たちの多くの感想なのである。
 日本に帰ってきて友人がローランドカークのレコードが輸入盤で手に入ったと言って貸してくれた。数ヶ月前ライブハウスで演奏していた曲を懐かしい思いできいた。
 それから間もなく彼が亡くなったという記事を音楽雑誌の中に見た。
 私は当時北海道のローカルで夜ナイトクラブなどを拠点とするバンドマンでピアノなど弾き生計を立てていた。
 今よりは視力があったので譜面が見えないこと以外は大きな不自由さは感じなかった。見えない譜面は徹底的に暗記した。なぜ職業にしたかというと好きな音楽で飯が食えたら楽しいだろうという何とも安易な発想である。実際盲学校時代ともに音楽活動していた仲間とも職業にすることに野望を抱いていたが愚かにも実現してしまったのは私一人であった。しかしながら当時はまだカラオケもなくナイトクラブやキャバレーも全盛といわれた時代であった。
 ピアノや電子オルガンで結婚式の仕事もあった。
 だから当初の不安をよそにお金にもなった。
 学生時代の仲間が大変な思いをしながらマッサージで生計を立てているのを自分に当てはめることなど出来るはずもなかった。
 だがそんなに良いことは長くは続くはずもない。カラオケの普及と急激な不景気であっという間に仕事が無くなってしまった。それでも食べて行かなくてはならず、細々ではあったが何とかしがみついた。足りなくなるとマッサージのアルバイトをして食い繋いだ。バンド仲間とも大変な時代になったものだとぼやきもしたが実際問題一流ミュージシャンでさえ食べるのが大変だというのに贅沢は言えないということで話はいつも終わった。
 そんな中途半端な生活をしていた折、眼病で失明寸前まで視力が落ちた。
 失意の病床でローランドカークのことを思い出してみた。ひたすら音楽を追求するために生まれそれを全うしたのだろう。どんな逆境にも屈せず前向きであった。そして四十歳そこそこで死んだ。
自分はとみれば、これといってなにもやってきたわけではなく、ただ何とか手術の成功を願うだけの小心者がそこにいた。自分は音楽をやる上で天才でもなければ才能も無い三流バンドマンだったが譜面を使わず仕事をしていると、目が見えないと音感がいいのだろうとよくいわれたことがある。
 とんでもない誤解である。音には敏感になるかもしれないが音楽とは音そのものだけではないのだ。
 さて、有難いことに数回の目の手術の結果何とか杖を持ちながらも一人歩き出来る視力が残った。
 一大決心の末人生振り出しと考え、鍼灸師の資格を取るべく視覚障害者更正施設に入所した。
 免許取得後一年半が過ぎた現在。生きがいはこの歳にして出会った深遠なる東洋医学の勉強会である。ここにたどり着くまでの長い道のり、やっと機が熟したかの感である。そんな折にまざまざと若い頃の思いに帰らせてくれたローランドカークの物語。なぜ三十年以上も経ってから突然私の前に現れたのかをよく考えてみた。
 そうすると、そこには天才である彼が凡人の私の行く末を啓示してくれる大いなるメッセージがあった。
 どんな時でも自分らしく生きろと、あの凄まじいほどシャウトするあのサウンドが心の中で励ましてくれるのだ。

本文 おわり

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