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第48回 随筆随想コンクール 最優秀作品

夏に思う

東京都 田藤 かよ子(たとう かよこ)

 今年もまた暑い夏がやってきた。私の毎日は、子供に始まり子供に終わると言った感じで、朝から晩まで子育てにあけくれる日々である。今年は下の娘が小学校に入り、落ち着かない新学期を親子ともどもやっとのりこえて、夏休みは少々ばてぎみの暑い暑い夏となった。毎年夏休みは子供を連れて実家へ帰省する。半年ぶりの実家では、すこし大人びたおねえちゃんと一年生になった下の娘を連れてきた私たち家族を、両親がいつものように、にこにこと迎えてくれた。食卓にはいつも私たちの好物が並ぶ。「おじいちゃんと二人だとこんなのたべないよ。」と言いながら、揚げ物やお肉料理を用意してくれる。私はテーブルにつくと「箸をとってくれない?」と言う。すると娘が私に箸を手渡す。何日目かの食事のとき、母は私に箸を手渡すようになっていた。
 実家といってもその家は、私が生まれ育った家ではなく、結婚して家を出た後に建て替えた家であり場所なので、なかなか自由に動き回ることは難しい。特に外は近くのスーパーでもちょっと怖い気がした。去年までは一人で買い物にも行けたのにと思いながらも、今回は一人で出かけるのをためらった。それでも毎日の買い物も母ひとりでは大変だろうと私も手伝って買い物に出かけた道すがら、何気ない会話をしながら母と並んで歩いていると、ふと母の手が私の腕にからまった。「ここは車が急に出てくるからこわくって」と言ったその手は、私を安全な道の端へと誘導した。何十年ぶりのその手は、子供の頃に感じたよりもはるかに暖かくてやわらかくて、そして小さかった。人ごみを歩くとき、段差を見つけたとき、そのやわらかくて暖かい手は優しく私を導いた。そして、それは去年よりも見えていない自分に気づいた瞬間でもあったのだった。言葉には出さない母の気持ちが少々疲れた私の心に響いてきた。
 物をさがして手探りをする姿や、くらがりで何かにぶつかる姿は、誰にも見せたくはない。離れて暮らし、たまにしか会わない両親ならばその気持ちはなおさら強い。テーブルの上の箸が自分でとれないのも知られたくはなかったし、白杖を使うところも見せたくはなかった。いつも帰省するときは、まだまだみえているから大丈夫という姿を見せて安心してほしかった。私のおもいは届いたか、母は何も言わずにそっとその手をさしだした。いつになっても私を心配する母の思いは尽きないだろうと実感する。
 我が家にもどり、再び子育てに奮闘する毎日がやってきた。外を歩くときは娘の小さい手が私の手を引き、段差があれば「せーの」と調子をとって私がころばないように歩調を調節する。少々あぶなっかしい誘導だが、息があってる感じがしてなかなか楽しい。家の中では私が物を落とした音がすると、子供たちはすぐにとんできて、それを私の手の中にもどしてくれる。こんなことが毎日の生活の中ではあたりまえとなり、親子の間の「あ・うん」の呼吸となっていた。家族はみんな私にとても協力的なので、私の生活に不安はない。母には言葉にしてはなかなか伝えられないけれど、きっといつでも私のことを気にかけているだろうその心に届けたい。「大丈夫だからね。」 二人の娘たちとの間にある「あ・うん」の呼吸と同じように、母との間にもまたそんなつながりがあるような気がするが、今年の夏は短い一言でも言葉にしてくればよかったように思う。私が両親の手を引いて、一緒に歩くことはできないかもしれないけれど、どうかいつまでも元気でいてほしいと願う。そして、私の心が少し疲れたときには、またその温かくてやわらかい手に触れてみたいような気がした。

本文 おわり

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