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第48回 随筆随想コンクール 優秀作品

大切なクリスマス

東京都 卯月 渚(うづき なぎさ)

「お米をくれる友達は一生大事にしろ」
「人様を喜ばせることをいっぱいするんだぞ」
 物心つく前に両親が離婚した私は、浅草産まれのチャキチャキ江戸っ子のじいちゃんに育てられた。大人になった今の私自身にとって、小学校に入学するまでのじいちゃんとの暮らしの中で受けた影響や価値観はとても大きい。
 小学校へ上がる前の最後のクリスマス。絵本で見たホワイトツリーに憧れていた私のために、じいちゃんは素敵なクリスマスパーティーを催してくれた。念願のホワイトツリーはもちろん、フライドチキン、苺のケーキ、長靴に詰めたお菓子、クラッカーにとんがり帽子、ヒゲ眼鏡まで用意してくれた。何よりも驚いたのは、バケツくらいの大きさのバニラアイスクリームだ。この日のことは今でも心に強く残っている。
 その年が明けてすぐに、小学校の入学相談のために児童相談所へ連れていかれた。結局、近所の小学校ではなく、私はじいちゃんのもとを離れ、遠い町の児童養護施設へ入所することになった。そこから、盲学校へ通うことになった。
「しばらくここにお泊りするんだよ。いい子にしていればすぐ迎えにくるからな。」じいちゃんはそれだけ言うと、帰って行った。
 しかし、待てども待てどもじいちゃんは迎えにきてくれない。私はやっと〈もうなかなかじいちゃんには会えないんだ〉ということに気づき、それからは不安と寂しさで毎晩のように窓から顔を出して「じいちゃーん!」と泣いた。考えてみれば、あの盛大なクリスマスは、じいちゃんが一人で施設に入所することになった私のために、楽しい思い出を作ろうと一生懸命盛り上げてくれたものだったと思う。
 さらに、私が施設に入所してすぐに、じいちゃんは具合が悪くなり、寝たきりになってしまった。 それから何年も入退院を繰り返し、じいちゃんは老人ホームを転々としていた。十四歳のとき、私はそんなじいちゃんに突然手紙を書きたくなり、滅多に手紙なんか出さないので写真まで添えて出した。
「今度、外泊許可が出たら、車椅子を押してあげるから一緒に買い物に行こうね。」
 粋でおしゃれが大好きだったじいちゃん。頭が寒いから格好いいベレー帽が欲しいと言っていたことを思い出し、私自身もその日がくるのをとても楽しみにしていた。早くじいちゃんに会いたい。久しぶりに色んなことを話そう。
 しかし、その約束を果たすことはできなかった。その手紙を出した三日後に、じいちゃんは亡くなった。
 もっと会いに行ってあげればよかった。もっと笑顔で沢山話を聞いてあげればよかった。もっと前からマメに手紙を書いてあげればよかった・・・。一緒に買い物に行くという約束を果たせなかったことやら、次々と後悔の思いが私を襲い、しばらくは立ち直れなかった。手紙を読んだじいちゃんは、きっと私と買い物に出かけるのを楽しみにしていたに違いない。
 お葬式の日は天寿を全うしたじいちゃんにふさわしく、さっぱりと晴れ渡った。澄み切った秋の空に高く火葬場の煙突から白い煙が上がっていた。いつまでも悔やんではいられない。
 大好きなじいちゃんと過ごした短い時間。それが今の私にとって、かけがえのない形のない宝物となっている。過ぎ行く季節の中でも、日々その思い出を感じることができる。親族に形見分けされたどんな遺品よりも、じいちゃんが残してくれた思い出が私の胸の中にはある。
 私は今も、クリスマスになると沢山ごちそうを用意して、自宅に友人を招き、ささやかなパーティーを企画することが楽しみである。あの日、もうすぐ離れ離れになってしまう私のために、じいちゃんが残してくれた思い出をもう一度再現したいという願いを込めながら。

本文 おわり

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