共催:手と目でみる教材ライブラリー
本企画展は、2021年4月17日(土曜日)に終了いたしました。
多数のご来場に感謝いたします。
会期1 2020年11月11日(水曜日)から11月25日(水曜日)まで
会場:日本点字図書館本館
会期2 2020年12月2日(水曜日)から2021年3月13日(土曜日)まで
(4月17日(土曜日)まで会期を延長します)
会場:ふれる博物館
※会期により、会場が異なりますのでご注意ください。
※12月26日(土曜日)から1月2日(土曜日)は年末年始休館となります。
会期により展示品に若干の違いががあります。
また、破損等により展示品を変更する場合もありますので、あらかじめご了承ください。
日本点字図書館は、1940(昭和15)年11月10日、25歳の盲目の青年本間一夫によって創立されました。それから80周年を迎えた本年、今まで保存してきた、開館準備をつづった本間のノートや戦前戦中の点字図書、また、点字器、点字タイプライター、テープ図書再生機等、当館事業にかかわる品々や、朝日賞(朝日社会福祉賞)、点字毎日文化賞の楯等、記念の品々を公開し、80年の時間を体験していただきます。
本間一夫は、学生時代から日本盲人図書館(現日本点字図書館)を開設した以降までの講義録や日記、論文の書き写し等を記録した大学ノート、28冊を残している。
今回はその中から「図書貸出事業準備記録」と題した、1940(昭和15)年9月1日から11月10日の開館に至るまでの記録ノートを公開する。貴重な、本間一夫自筆の点字である。
1953(昭和28)年に、本間一夫は朝日賞(朝日社会福祉賞)を受賞し、当館の存在が社会に知られるようになった。その後、点字毎日文化賞、吉川英治文化賞、北海道増毛町長表彰、鳥居賞、井上靖文化賞など多くの賞を受賞した。
また、藍綬褒章、勲四等旭日小綬章を受章。逝去に際しては、従五位に叙せられた。
創設時より80年間使用している木製本棚。釘を1本も使わず、分解・組み立てができるため疎開先でも使用し、昭和20年5月25日の図書館が全焼したときも戦火を逃れた。
図書館の事業所は階下玄関脇の六畳間で、そこにはその頃購入できた約七百冊の点字図書をそろえました。価格は一冊一円から一円十銭ぐらいだったと記憶します。書棚には、幅一間ほどの六段式のものを一本五十七円で近くの指物屋にたのみ、四本ならべました。それに図書を郵便で送るための厚手の布袋を、これまた一円余りで百枚ほど用意しました。他に閲覧用机一つと椅子二つ、カード類若干を取り揃えましたが、これだけが図書館創設当時のすべてであったのです。この小規模のものに、私は大胆にも「日本盲人図書館」と名付けました。
『指と耳で読む』岩波新書(1980年)より
点訳書、録音図書製作にあたり著作権者に許諾を求めた時代の、返信はがき・封書を保存している。
点訳書に関するもの293通(内 封書6通)。録音図書1,562通(内 封書19通)。どちらか不明のもの102通(内 封書1通)。合計1,957通である。
時代としては、1955(昭和30)年から1978(昭和53)年のものである。現在は著作権法が改正施行され、点字図書館は、点訳書、録音図書を著作権者の許諾なく作成することができる。
※展示品のハガキを立体コピーでさわれるようにしています。著名な作家の直筆をさわって感じていただけます。
養母キミは、図書館建設にあたり自身が好きなエゾヤマザクラを本間一夫に贈った。南西の角地に植えられ、ソメイヨシノが散った後の時期に咲いていたが、現在の本館を建設するにあたり伐採し、記念に幹の一部を花台に加工した。2台製作し1台は本間家にある。加工したのは、当館オリジナル木製点筆を手がけた、小田原の木工細工職人、長谷川福二氏。
このオルゴールは明治天皇御愛用の遺品で、天皇の御息女であられる東久邇聡子(ひがしくに としこ)夫人から日本点字図書館へ賜ったものである。昭和33年11月に開かれた本館の点訳奉仕の集いにご出席くださった夫人から「盲人の方々をお慰さめするため、お使い下さい」との言葉と共にいただいた。6曲中には、日本の春雨、数え歌、さくらさくらも入っている。
わが国最大の点字図書館。国の委託事業である点字図書・録音図書の製作貸出、盲人用具の販売斡旋その他関連事業をするために整備された国有財産。内部には点字図書2万1千タイトル、録音図書1万8千タイトルを所蔵する他、それらを製作する設備を有し、本館1階には盲人用具を販売する「わくわく用具ショップ」、また別館には相談・訓練を行う自立支援室を設置している。
1943(昭和18)年に竣工した点字図書館落成式の席で参加者に配った状差し。
郷里の母もこの竣工を喜んで、アイヌ細工の熊の形の「状差し」を二百個ほど記念品として贈ってくれました。この日に出席した古い読者や点訳者の方の中には、未だにそれを大切にお持ちの方があり、嬉しさと懐かしさを感じます。
『指と耳で読む』岩波新書(1980年)より
視覚障害者のみならず、点訳ボランティアにも広く普及した標準点字盤のベストセラー。当館でも月間200面を販売していた時期もあった。創業は1901年。パソコン点訳の普及により製造を終了、2011年の入荷が最後となった。現在他社製のプラスチック製の点字盤があるが、視覚障害者からは木のぬくもりが良かったといわれている。
「この業の創始者は、初代仲村豊次郎である。豊次郎は、「車飾り」という職にあって、主に人力車の金物部品を作る仕事をしていた。明治34年の秋、もみ療治に来た盲人から点字器が極度に不足していることを訴えられた。それに心を痛めた豊次郎は、意を決して点字器の試作研究にのりだした。そして、出来上がった製品が絶賛されたことから、仲村家の天職としての基礎が確立されることになるのである。以来、二代目の謙次氏、三代目の茂男氏へとバトンが受け継がれて90年たった。」
「日点だより」第58号(1990年)より
パソコン点訳が普及する前に活躍した点字タイプライター。なるべく廉価にという経営者の方針で、2016年の生産終了時も2万円台の低価格であった。
六つのキーの形状とともに、右から左にキャリッジが移動する動きから、「カニタイプ」とも愛称された。
展示品は、昭和25年製造の製造番号35番の貴重なもの。
点字器製作におけるトップメーカー、仲村点字器製作所による点字タイプライター。当館のボランティアで319タイトル、2,113巻を点訳された吉田宣さんも、このタイプライターを使用していた。展示品は昭和20年代のもの。
優れた点質の点字がリアルなタッチで軽快に打てます。行換は独特なレバーで、早くて確実です。点字は上に出るので、展開してして行くキャリッヂ板上で、すぐ読めます。針による用紙裏、表の掛替は確実で、左側に綴代が出来る事も標準点字器と同様です。製品は一台一台熱意と責任をもって製作し、特に六点最終工程および総合調整等は所長の手を経て完成されます。
反面、頑丈なために重くて持ち運びが不便、手造りで時間がかかるため価格も高くなりすぐに間に合わない等の欠点もありますが、これらを補って余りある価値ある製品です。
「盲人用具総合目録」日本盲人社会福祉施設協議会(1982年)より
二つ折りにした亜鉛板に点字を打ち、手で間に紙をはさんでゴムローラーに送りプレス印刷する点字印刷。日本では明治時代から行われていますが、製版までが自動化されただけで、今でも方式は変わりません。
展示品は昭和初期のもの。当館は1954年から厚生省(当時)からの委託を受け、点字出版事業を開始しました。
当館の録音図書再生機として1966(昭和41)年に開発。1988(昭和63)年3月にオープンテープによる貸出サービスが終了するまで活躍した。
松下電器産業の特別な協力を得てつくられたもので、4トラック、2スピード(4.75㎝/秒と9.5㎝/秒)方式をとっており、5型テープで4時間の録音再生ができる高性能のテープレコーダーです。各操作ボタンは点字でわかりやすく表示され、モニターも可能ですので、声の図書をはじめ、さまざまな録音をとる時にも便利な製品です。
万一故障の場合は、当館または全国のナショナルサービスにご相談ください。
なお、このテープレコーダーは盲人用として非課税の特典を生かした、わが国初めてのものです。
「盲人用具総合目録」日本盲人社会福祉施設協議会(1982年)より
当館のカセットテープ録音図書再生機として1976(昭和51)年に開発。盲人専用という位置づけで世界基準の再生スピードを半減速にする、特別な許諾を得た画期的な機種。
本機は標準のスピード(4.8㎝/秒)を半減速(2.4㎝/秒)にして使用するため、C-60で片道1時間の録音が可能になり、盲人用の声の図書には最適です。
この半減速は、フィリップス社(オランダ)から松下電器と日本点字図書館に対し、特に盲人用テープレコーダーのために与えられました特別の許可により生まれたもので、数多いカセットテープレコーダーの中で、本機のみが持つ大きな特徴です。従って販売権はすべて日本点字図書館、使用対象は盲人の方に限られております。
また半減速の他に、標準スピードにも切り換えられ、すでに使用されている声の図書館を聞くことができるほか、盲人の日常生活を考慮して、市販品との互換性を持たせました。
発売時のリーフレットより
当館創立40周年記念製品。従来のRQ8145より小型・軽量化し、早聞き機能も搭載した。
本機は標準のスピード(4.8㎝/秒)を半減速(2.4㎝/秒)にして使用するため、C-60で片道1時間の録音が可能になり、しかも30%の早聞きができるので盲人用声の図書には最適です。
この半減速は、フィリップス社(オランダ)から松下電器と日本点字図書館に対し、特に盲人用テープレコーダーのために与えられました特別の許可により生まれたもので、数多いカセットテープレコーダーの中で、本機のみが持つ大きな特徴です。したがって販売権はすべて日本点字図書館、使用対象は盲人の方に限られております。
また半減速の他に、標準スピードにも切り換えられ、すでに使用されている声の図書を聞くことができるほか、盲人の日常生活に考慮して、市販品との互換性を持たせました。
発売時のリーフレットより
当館創立45周年記念製品。持ち運びが便利な携帯型で、ボタンの形状なども視覚障害者に扱いやすく工夫されている。
再生速度を2倍速まで可能にし、早聞き時の音質を変えられるVSC機能を搭載。読書時間の短縮に威力を発揮した。
本機は、テープの速度を標準の4.8㎝/秒だけでなく、半減速(2.4㎝/秒)で使用可能な、盲人の方のための「声の図書」に最適です。
この半減速は、フィリップス社(オランダ)から松下電器と日本点字図書館に対して特別に許可された規格。数多いカセットテープレコーダーの中で、盲人用のみが持つ大きな特徴です。
さらに本機では、これまでの盲人用テープレコーダーの数々の特徴を一層使いやすくしたうえ、形も手にやさしいラウンドフォルムを採用しました。
発売時のリーフレットより
録音図書製作貸出事業開始の2年前、1956年に、元軍需大臣であった豊田貞次郎氏の夫人、満子様から寄贈された、当館録音機第1号。
他にも満子様はTBSに働きかけをしてくださり、更生テープ50巻の寄贈を得られた。
録音図書製作にあたり、録音テープのほかに検討した方式。テープではなくシート片面に磁性粉末を塗布した媒体(シンクロシート)に録音し、再生する。
星野愷は磁気テープの開発を終了すると、視聴覚情報の伝達に磁気記録を利用する研究を始めた。印刷物の裏面を磁気記録媒体とし、表に書かれた内容を声で説明する装置(視聴覚教育用「磁気録音読書機」シートレコーダー)の開発を1954年(昭和29年)から始め、1957年(昭和32年)に完成した。これはシンクロリーダーと名付けられ商品化された。1958年(昭和33年)ブリュッセルで開催された万国博覧会の日本館で展示されプレス報道部門の金賞を獲得した。
フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」星野愷の項より(2020年確認)