ふれる博物館
第13回企画展「江戸から昭和のマイホーム」

主催:日本点字図書館附属池田輝子記念ふれる博物館
手と目でみる教材ライブラリー
協力:公益財団法人東京都歴史文化財団 江戸東京たてもの園
小沼畳店

会期:2023年11月22日(水曜日)から、2024年3月16日(土曜日)
(祝日を除く水曜日・金曜日・土曜日のみ開館)
会場:ふれる博物館
開館時間:10時~16時  ●事前予約制です
入場無料


 ※会期中の祝日・年末年始休館日(12月27日(水曜日)から1月4日(水曜日))は本館と同じく休館となります。

開催にあたって

日本点字図書館附属池田輝子記念ふれる博物館の第13回企画展は「江戸から昭和のマイホーム」です。
小金井市にある江戸東京たてもの園のご協力をいただき、江戸時代の農家「吉野家」、大正時代の「田園調布の家、大川邸」、昭和時代に足立区千住にあった銭湯「子宝湯」の模型を展示し、関連する物品もさわっていただきます。
手と目でみる教材ライブラリーの所蔵品からは、瓦や江戸時代の長屋などの模型をお借りして紹介します。
ちょっと昔の暮らしに想いを馳せてみませんか?

【主な展示品】吉野家・大川邸・子宝湯の建築模型と間取り図。湯桶、風呂椅子、乱れ篭、羽釜、火鉢、長屋の模型、瓦。

以下、展示物のなかの一部をご紹介します。

1.農家(吉野家)

復元建造物「吉野家(農家)」は、江戸時代後期に現在の三鷹市に建てられた建物。名主(江戸時代、主に関東地方での村の代表者のよびな)役を務めた家といわれ、式台(高い身分や階級の家に許されていた玄関先につくられた板敷き)付きの玄関や付け書院のある奥座敷に格式を見ることができます。
大屋根は寄棟造り、茅葺き、式台部分の屋根は瓦葺きです。
木造1階建て。
全体模型は1/60スケール(白色)、間取り模型は1/50スケール(有彩色)で製作。

1.農家(吉野家)
1.農家(吉野家)
1.農家(吉野家)間取り
1.農家(吉野家)間取り

2.田園調布の家(大川邸)

大正時代のおわりに田園調布に建てられた住宅。玄関を入るとすぐに居間があり、それを中心に食堂・寝室・書斎が配置されています。当時としては珍しく全室洋間です。各部屋を斜めにずらして配置しているため、二面採光が得られています。接客空間よりも家族団らんや住みやすさを重視した、当時の生活改善の理想をよく表した住まいです。
全体模型は1/50スケール(白色)、間取り模型は1/50スケール(有彩色)で製作。

2.田園調布の家(大川邸)
2.田園調布の家(大川邸)
2.田園調布の家(大川邸)間取り
2.田園調布の家(大川邸)間取り

3.子宝湯

1929年(昭和4)に足立区千住元町に建てられた銭湯。建物入口の神社仏閣を思わせる大型の唐破風は、関東大震災後の東京で始まった特徴的な銭湯建築のスタイルです。玄関から先には、男女それぞれの脱衣場、続く浴室には洗い場と浴槽があります。男女の脱衣場の間には従業員の座る番台があります。日本建築の空間を思わせる脱衣場に対し、浴室は洋風の雰囲気があります。
玄関と脱衣場の屋根は瓦葺き、洗い場の屋根は金属板葺きです。
間取り模型では坪庭も表現しています。木造1階建て。
全体模型は1/60スケール(白色)、間取り模型は1/50スケール(有彩色)で製作。

3.子宝湯
3.子宝湯
3.子宝湯間取り
3.子宝湯間取り

4.裏長屋

江戸の町人地(ちようにんち)の町割りは、道から道までの内法が京間 (1間=6尺5寸、約2メートル)60間で計画されました。この正方形の大きさは、平安京の1町の寸法とほぼ同じで、京都を意識して計画されたことが指摘されています。ただし、京都と異なるのは、この正方形の内側を有効に使うため、60間を3等分している点です。このため通りに面する町屋の敷地の奥行きは20間に統一されていたことになります。大店の場合、通り側を店としてその奥に商品を保管する蔵や奉公人の住まいを設けて敷地を目一杯利用しましたが、多くの場合は通り側に「表店(おもてだな)」と呼ばれる店舗兼住居を建てて、その背後に「裏長屋」と呼ばれる長屋を設けました。裏長屋は表店の主人が大家となり、店子に貸し出される借家です。裏長屋へは、2軒の表店の間に設けられた木戸と路地から出入りしました。
このように、表店を5間程度の奥行きに抑えて、その奥に裏長屋を取る構成はかなり定型化されていて、長屋の各戸の間取りも「9尺2間の裏長屋」といわれるように、間口1間半、奥行き2間ほどで土間まで含めた広さ6畳程度が定番です。手前側に設けた土間にかまどと流しを備えて、畳敷きの部分は4畳半ほど。裏長屋の各戸は同じ平面で、表店の間口が3間程度なら片側、5間程度なら両側に並んでいました。路地の一角に、便所と井戸が共同で設けられる点も定型です。
井戸は井戸水ではなく神田上水や玉川上水から分岐した上水道です。
こうした表店と裏長屋の構成は、江戸時代中期に成立したとみられています。江戸の人口は享保年間ですでに100万人を越え、町人はその半分を占めていました。裏長屋は、この巨大な人口を収容するために生まれた、過密都市ならではの住居といえます。

4.裏長屋
4.裏長屋