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建物で見る80年の歴史



創立80周年記念 建物に見る事業の変遷

日本点字図書館の歴史を建物の写真とともに振り返ってみませんか。
AIサービスでカラー化した写真を掲載します。当時の面影が蘇り、より鮮明に感じとれるようになりました。
(記事は、本部長 伊藤宣真が執筆した「にってんフォーラム 116」の同名記事と同じ内容です)


    写真1 創立時の借家


  •  1940(昭和15)年11月。創立者本間一夫は、前年に関西学院大学を卒業して以来住居としていた、豊島区雑司が谷の小さな2階建ての借家の一部で、蔵書700冊の「日本盲人図書館」を開館しました。




  • 写真2 現在地に移転した住居兼図書館


  •  翌1941(昭和16)年3月。淀橋区諏訪町(高田馬場の現在地)に移転。南北に長い矩形の空き地が3分割されて売りに出されており、本家の支援により真ん中の3分の1を購入し、建物も新築しました。この門柱は空襲にも耐え、1974年ごろまで存在していました。




  • 写真3 敷地内に建てた日本初の単独点字図書館


  •  1943(昭和18)年7月。同じ敷地内に、著名人を含む多くの方々からいただいた建設費用の寄付により、日本で初めての独立した点字図書館棟が完成します。(1945年の空襲により全焼してしまいました)




  • 写真4 増毛疎開時に借用した丸一本間合名会社の社屋(中央・1963年撮影)


  •  1944(昭和19)年3月。空襲から蔵書を守るために、2300冊の点字図書とともに茨城県総上村(現下妻市)に疎開しました。さらに1945(昭和20)年4月には、北海道増毛町にある本間の本家が営む、丸一本間合名会社へ再疎開します。




  • 写真5 焼け跡に建てた住居兼図書館


  •  戦時中も郵送による点字図書の貸し出しは続けられました。1948(昭和23)年3月。戦後の焼け跡に木造の住宅を建て再出発。4月に名称を「日本点字図書館」に改めました。




  • 写真6 手前が国費で建てた本館。左が法人が建てた点字書庫。その奥に住居が見える(1955年~1959年頃撮影)


  •  1954(昭和29)年11月。厚生省(当時)の点字図書の製作貸出委託事業開始に伴い、事業に必要な建物として木造一部2階建てを建設。以来、国有財産の使用についての契約は内容変更を行いながら現在まで続いています。また、1955(昭和30)年6月には、鉄筋3階建ての点字書庫を東京都・国からの補助金、篤志家からの寄付金を充てて新築しました。この書庫は、その後4階部分や点字図書作業室などが増築されます。
     写真右側の平屋建ては、昭和33年に「声のライブラリー」を開始した洋館(当時本間の実家の所有)です。




  • 写真7 テープライブラリー


  •  1958(昭和33)年に録音図書事業が始まったことに伴い、翌年に南側隣接の土地と建物をそれまで持っていた本間本家から購入し、さらに1961年には、鉄道弘済会によって2階建てのテープライブラリーの建物が新築されました。この建物は、増築を経て1966年に当館に無償譲渡されました。




  • 写真8 奥が国費で建てた本館。中央がテープ庫。手前は1962年に増築した点字書庫(1970年頃撮影)


  •  厚生省による建物の増強も始まり、1961(昭和36)年には、鉄筋平屋の新たな建物が建設され、1967年までに3階建てに増築されて、これが図書館の新たな本館となりました。また、1968(昭和43)年に旧本館を解体し日本自転車振興会の補助で3階建てのテープ庫を建設しました。




  • 写真9 国費で建てた別館


  •  1974(昭和49)年には、戦後に建てた東側の住居を解体し、印刷室兼原版庫として地上4階、地下1階建ての別館が国費で建設されました。




  • 写真10 通りに面した、手前が新館、奥が本館


  •  1979(昭和54)年には北側隣地を購入、1955年建設の点字書庫を解体し、テープ庫と合わせた地上3階、地下1階の新館に増改築しました。翌1980(昭和55)年には、この新館に録音図書製作部門が使う4階を増築し、テープライブラリーが解体されました。その結果、建物は、国有財産の本館と別館、法人所有の新館の3棟に集約されました。




  • 写真11 現在の日本点字図書館


  •  1961年より使用していた本館の老朽化に伴い、すべての建物を国費で再編成することになり、1996(平成8)年3月、西側に地上4階建ての本館が、1998(平成10)年3月、東側に地上3階、地下2階建ての別館が完成し現在に至っています。




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